【インタビュー】リクルート、起業を経て衆議院議員へ挑戦する男 中嶋 康介

様々なキャリアの選択肢が増えてきた昨今、それでも異色なキャリアを歩んでいる「なかじま康介」氏。

出版およびインターネットにおける広告や人材・不動産・店舗紹介などのインターネットサービスを幅広く運営する大企業『リクルート』から、起業を経て、さらに長野県で衆議院議員へと挑戦している。会社員・経営者を経験した彼は、次に政治家を志した。彼のあくなき挑戦心はどこからやってきているのか。

ストックオプションを目的に、ベンチャー企業へ入社

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リクルートに入社する以前に一社ベンチャー企業で働いていました。ずっと、自分は長男だから、いつかは地元の信州に帰るのだろうなと漠然と思っていましたが、地元の企業の試験を受けることなく大学の仲間と一緒に就活は東京で行い、大した迷いもなく東京の不動産ベンチャー企業に入社しました。

入社の決め手はストックオプションでした。

会社は月を追うごとに売上や利益が増え、それに伴い社員もどんどん増えて上場を目指しまっしぐらに進んでいく、上場できればストックオプションで努力が何倍にもなって返ってきます。

その頃の僕のモチベーションは収入でした。そんな状況でしたので、たまに帰る地元は居心地が良かったのですが地元に腰を据えるなんて考えることもなく、都会での生活は忙しい中でも心地よい充実感があり、地元に帰ることを考えるきっかけすらなくなっていました。

上場を目指していた会社が上場を断念

しかし、転機は突然訪れます。
会社は目指していた上場をあきらめなければいけないというアクシデントに見舞われ、さらにしばらく顔を合わしていない父親の体調悪化という知らせが入りました。偶然は重なるものなのか、僕は、「このタイミングを逃したら地元に帰るチャンスはない。」と直感で思ったのです。

そんなさなか、電車のドアのリクナビNEXT(転職サイト)の文字を見つけ、すかさず登録しました。そこで目に留まったのがリクルート松本支社(長野県)の求人広告営業職の募集でした。
「よかったこれで帰れるかも」と思ったが、同時にあまりの掲載企業の少なさにUターンが決して楽ではない事を実感しました。

当時まだ銀座にあったリクルート本社での面接時、

僕は「地元に帰りたいと思ってリクナビNEXT見ましたが掲載企業が少なすぎます。僕と同じような立場の人のために掲載企業を増やしたい。掲載企業が増えればUIターンがもっと増えて、リクルートの事業が地域の活性化に繋がるはずで、その事に一生懸命取り組むことによって自己成長したいと思います。」と伝えました。

面接が終わって生意気言っちゃったなぁとちょっと反省しましたが、結果の連絡はすぐにもらう事ができました。

リクルートでなにをしたのか、なぜ辞めたのか

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入社当時のリクルートは体育会系のノリのゴリゴリ営業をしている会社でした。
入社後すぐに行われたのは、全国で入社したばかりの新人が、5日間 10時~17時の間ひたすら飛び込みで名刺交換し、手に入れた名刺の枚数を競う『名刺獲得キャンペーン』でした。
これは新人営業マンの度胸と耐性をつけるためのもので、もちろん、結果は毎日全国の拠点に共有され、新人の名とともに評価が社内に知れ渡るリクルートの求人広告営業の登竜門なのです。
そこから先は毎朝のアポ取り電話200本 毎日5件の企業訪問がノルマでした。

仕事内容は、リクナビという新卒サイトとリクナビNEXTという転職サイトの営業と掲載原稿のディレクデョンをしていました。メーカー、商社、サービス業など業種を問わず、社長ひとりしかいない会社から、上場会社まで規模を問わずリクルートの真骨頂であるtop営業をひたすら続けました。

新事業の立上げ責任者や、社長の後継者、たった1人の新卒枠、初めての社員採用など、採用に対する企業の課題は様々で、会社の数だけ求める人材像が存在し、同じ採用は2つとない。
当時は求人広告がWebへと変化を遂げる進化の時期でもありました。
紙媒体からWeb媒体に移行して、飛躍的に進化を遂げたのは求人広告の質とその発信力です。
紙媒体はどうしても原稿枠の大きさに限界があります。

だから、必要最低限の情報である条件面がフューチャーされるのです。それに対し、Web媒体にはその制限がない、だから、原稿には「 なぜ募集をしているのか。条件以外にどんなメリットがあるのか、その会社に就職したらどんな未来が待っているのか、創業時の社長の想い」など、数字が表す条件だけでは語れないその仕事や会社の魅力を伝える事が可能になったのです。

また、紙媒体は物理的に手に取らないと情報に触れることはできません。求職者側からすれば地元の求人情報でさえも手に入れることは容易ではないし、情報を手に入れるまで時間がかかるためタイミングが重要な鍵を握る中途採用には向かないのです。
募集する企業側からしても地元出身の求職者にピンポイントで情報を届けることは困難です。
終身雇用、年功序列という日本型雇用制度が崩れ、いつでもリストラが起こり得る昨今、雇用の流動性が求められています。

求人広告のWeb媒体への移行

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情報量や即時性を求められるという観点で紙媒体からWeb媒体へと移行が進みました。これにより全国各地から応募も来るようになり、社風や社長の想いに惹かれたという転職者の数も増加しました。

とはいえ、あくまで求人広告なので、結果は担保されていません。
求人広告を掲載した結果として、2000人の応募がある求人があれば、逆にまったく応募がないこともあり、リクルートの求人媒体は同業他社と比べて高い単価(当時新卒は200万から、中途は概ね40万円~150万円)だったので、結果は”神のみぞ知る”ところではあっても、掲載する段階での原稿のクオリティーには納得していただく必要があり、取材時には、取材対象の方の想いやビジョンをとことん聴くことに力を傾けました。

受注をした後の原稿づくりはいつも真剣勝負でした。

僕が作った広告によって採用された人材が今はその会社の役員になっていたり、工場長になっていたりするケースもあり、企業を人材面からサポートする仕事だと認識していました。そして、ひいてはそれが地方を支えることに繋がる仕事だと実感しそれがハードワークをこなすモチベーションとなっていました。
いま振り返ると万年人材難の地方の企業のお役に少しでも立てたのではないかと思っています。

また仕事を通してお会いする方々は、創業社長も多く、ある意味癖のある方も多かったのですが、その方たちのおかげで成長し、いまの自分があり、またその方たちからの信頼のおかげで成績もよく社内表彰ではいくつかの受賞をすることもできました。
リクルートの創業者江副さんがおっしゃっていた「自ら機会を創り出し 機会によって自らを変えよ」の言葉どおり、すべての行動が自己成長に繋がったのは言うまでもなく、それはリクルートが人材輩出企業と呼ばれる所以であると僕は考えています。

とはいえ、良い面があれば悪い面もあるのが世の常。
参入障壁の低いWebへと移行した求人媒体ビジネスモデルは多くの競合の参入によるシェアの低下により、効率的な社内体制への転換が求められるようになりました。
リクルートは変化の激しい企業です。それぞれの拠点が担うミッションは変化し、それに伴い日本各地の拠点を縮小する方針が決定される。急転直下、会社の方針転換により、同僚たちはリクルートからの自立を迫られることになりました。

転機はまたも突然訪れたのです。
営業を通して縮小のしていく地方の現状を目の当たりにして、地元で暮らすことを決めていた僕は自分が何をすべきか考えました。イチ会社員の企業活動を通してできることには限界がある。
一緒にがんばっていたみんなは自立していき、僕は以前から考えていた政治の世界への方向転換を決意しました。

起業をして何をしたのか、何を得たのでしょうか

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リクルートを退社し政治の世界へ入り、秘書という仕事に就きました。

2012年12月、僕は公設秘書をしていました。
議員秘書は議員の陰の立場で活動するため、地域の課題や政治の現状を知るにはうってつけで、
国会で仕事をしている議員の代理として会合に出席し、支援者回りをしながら議員への支持の拡大を図るという仕事です。

 

そして、転機は三度突然訪れました。

政権交代が起きてから3年3ヶ月後、当時の野田総理によって衆議院が解散されました。
国会での解散宣言から2時間後事務所に1通のFaxが届いたのです。
「健康保険の任意継続の手続きについて」
僕は、失業しました。

投票日当日、開票結果は散々なものでしたが、その日、リクルート時代におつきあいのあった経営者の方々3名からメールが届きました。「やっと自由になったな、会社に顔を出せ。」3通とも同じ内容だったのです。
自分の意思と関係なく失業した僕にとってはまさに救いの神でした。
直面した事柄ひとつひとつにしっかりと向き合い関係する方々から信頼を得ることはその後の人生を左右します。やっぱり持つべきものは人脈です。

それから選挙の敗戦処理と同時に起業の準備を行う日々、会社の登記も済んでおらず、事業内容は「企業のお手伝い」という曖昧なものでありましたが、なんとか新たなスタートを切ることができたのです。

リクルートでの経験を活かし、人事コンサルタントとして起業

はじめて自分で作った名刺の肩書には人事コンサルタントと入れてみました。
コンサルティングと言えば格好はいいですが、業務内容は採用のお手伝い、社員との面談、プロジェクトの立ち上げなど多岐にわたります。時にはお菓子の仕入れをしたこともありますし、イベント誘導係のとりまとめをすることも。要するになんでも屋で、なんでも屋というのは意外と中小企業にはニーズがあるんです。

中小企業というのは社員の人数を抱えられないので、それぞれがマルチタスクで働かなければ会社が回らない構造になっています。にもかかわらず、社長以外にマルチタスクで働ける人間は少ないものです。
だから中小企業は何かに特化したスペシャルな人材よりも言葉は乱暴かも知れませんが、“ボチボチ”でいいから“そこそこ”の守備範囲を守ってくれる少し気が利くフォロー人材のニーズが高くなります。
完全に僕の主観ですがが、to B の営業マンやビジネスプロセスの上流工程の経験は、キャリアの観点から考えると“つぶし”の利く経験であり、中小企業にとってはひくてあまたのスキルとなります。

一方で、経営者と課題を共有しながら仕事を進める過程で地方企業が抱える課題に直面することになったのです。

地方企業が抱える問題とは

地方の進学校を卒業した高校生の多くは、地方の国立大学や関東、関西の有名私立に進学し、その後就職活動でも力を発揮し、そのほとんどは地元に戻らずに、そのまま大都市の大企業や有名企業に就職します。
また、仮に地方にUターン就職を決意しても、喰いはぐれのない公務員や医師、弁護士などの難関資格をベースとする職業につくパターンが多く、優秀な人材から大都市や安定的な仕事に採られて行くのだから地方の中小企業は人材集めに苦労を強いられることになります。

また、仮に採用に成功したとしても人材不足は若手社員の成長にも影響を及ぼします。
かつての日本型雇用システム下においては先輩社員の手厚いフォローアップが存在しましたが、現在では機械化やIT化が進んだ結果、仕事の平準化が進み若手人材の戦力化までのコストはだいぶ圧縮された反面、若手人材の成長に伴うマインド&メンタルに関してフォローすることが困難になっています。

このように、本社機能を持たない支店・支社やいわゆる下請け企業の多い、地方企業をとりまく経営環境は新たな課題に直面しています。「企業は人材」の言葉の通り、企業の成長に合わせて人材も必要になりますが、そもそも採用もままならない状況で、さらに、せっかく採用した人材を育てることにも苦労を強いられる事となります。

地理的不利もさることながら、そもそも地方から大都市圏へと若者が流出し、労働力の確保が困難な状況であり、企業の成長が思うように進まないと働く従業員の給与に直接的に影響が及び、売上や利益を上げなければ従業員の所得も福利厚生も向上しません。条件面での停滞は仕事のやりがいなど関係なく人口流出に拍車をかけています。

企業の内部から経営者の気持ちに寄り添い経営者目線で仕事をすることで、日本の構造的な課題を身に染みて感じることができました。これが日本の地方企業の経営環境をとりまく現状です。
この流れを止めないと、地方は縮小し、さらに衰退していくのです。

地方の将来が危ぶまれる大きな原因はここにもあるのです。

衆議院議員を目指す理由はなぜでしょうか

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バブルの崩壊から25年、国や地方の借金は1000兆円を超え、度重なる景気・経済対策は試算通りの結果は出せずにいます。30年以上前から少子高齢化になることが分かっていながら解決に向けて本腰を入れることなく、時代は少子高齢化から人口減少社会へと進み、現役世代の負担は増加の一途をたどっています。
一方で、年金だけでは生活できないお年寄りが増え、子どもの貧困率も上昇しいまや子どもの6人に1人が貧困だと言われています。さらに、中央集権型の東京一極集中は地方の疲弊を招き、消滅可能性自治体のリストが新聞で発表されるまでに至ったのです。

この状況をつくりだしたのは紛れもなく政治の結果であり、
この状況を打開し新たな光を見出すのも政治の力です。

僕はこの現実に直面し、見て見ぬ振りができなくなってしまいました。

政治に対する思い

誰かのせいにして、自分の事だけ考えて逃げ切ることはできるかも知れない。
でもそれは子どもたちに大きな負担を押しつけることになるのだし、
いま動き出さなければ故郷は消えてしまうかも知れません。

 

正直言って、立候補することは怖いです。
家族に苦労を強いることは間違いないのだし、矢面に立って批判にもさらされます。
フルパワーで経済活動もできないので収入面でも厳しい状況に置かれるのです。

だけれど、誰かがやらなければならない。
自ら手を挙げてその役割を負う事に決めました。

 

衆議院議員の選挙は日本全国を小選挙区に分けて、選挙区ごとに1人の代表を選ぶ仕組みになっています。

すなわち衆議院議員は選挙区を代表する立場だと考えています。
地域の現状を訴え、地域の課題を解決することを前提に政策を立案し、実現しなければならないのです。

自分を育ててくれた大好きな信州を守り、
安心して暮らせる環境を子どもたちに繋いで行きたいと考えています。

今後政治家としてどうしていきたいのでしょうか

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これまでの政治の結果として、地域間格差や経済格差、世代間格差が生じ、その格差はどんどん広がっています。そして、格差は人々に不満や不安を生みだす要素となり様々な分野に影響を及ぼします。

まず、地域間格差は、自然災害の多いこの国にとって生存のリスクを高めています。
日本は地震・津波・噴火・洪水などいつどこで起こるか分からない国土を持っており、
限られた都市部への人口や行政機能の集中は、リスクマネージメントの観点から考えても良い事ばかりではないのです。

都市部の人口を支える、エネルギーや食糧の供給を考えても地方の衰退はマイナスであり、現在から将来においての日本の最大の問題である少子高齢化、人口減少問題に関しても都市部だけでは解決ができない課題であると考えています。

経済格差はどのように広がっていくのでしょうか

経済格差は、所得の問題だけにとどまらず、教育や健康、社会情勢の不安定化に繋がります。
既に親の所得格差によって生まれた、教育格差が学歴格差を生み、学歴格差が所得格差を生んで、
格差が世襲される負のスパイラルに陥っているという指摘があり、所得、学歴の格差は健康格差も生みだしていると言われています。海外に目を投じれば経済格差が社会情勢を不安定にする事例は枚挙にいとまがないのです。

今後は少しでも格差を是正し、不安を払拭し、より多くの人々が幸福感や充実感を感じられる国にすべきだと考えています。そのためにもかつて日本に存在した中間層を増やすことが必要であり、また、将来への不安を払拭し、果敢なチャレンジを促すため、社会保障制度の再構築と、失敗しても再チャレンジが可能な社会制度を構築するべきだと考えています。

また、世代間格差を埋めるためにも、若者の政治離れにも歯止めをかけたいのです。

少子高齢化の影響で現役世代の負担はどんどん重くなり、さらには、国と地方の借金は右肩上がりで増え続け、このままでは将来世代へ大きなツケを残すことになり、その結果世代間格差は広がります。

高齢化進み高齢人口の比率が高くなる一方で、若者の投票率が低いため、どうしても高齢者に有利な政策を実施せざるを得ず、世代間格差に拍車をかけています。

僕は、政治に求められるものは本来将来への道筋をつける事だと考えています。
その将来を担うのはいまの若者なのだから若者が政治に対して意志を示さなければならないと思っています。

政治は無関心ではいられても、無関係ではいられません。

朝起きて蛇口をひねると安全でおいしい水が飲める事、どこかに行こうとしてなにげなく通っている道路、そのすべてが政治に繋がっています。まさに、“ゆりかごから墓場まで”それよりもっと前の母親のお腹にいる時から、政治が関わらない日はありません。

政治に興味を持つ人々を増やせるように
政治が見捨てられないように
自ら手を挙げて関わって行こうと覚悟を決めたのです。

 

長野県からどうやって大手企業に就職し、起業し、衆議院議員を目指していくのか、地方就職、起業を考えている、議員を目指しているという方はぜひ参考にしてみてはいかがでしょうか。

中嶋 康介 (Kosuke Nakajima) プロフィール

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民主党長野県第5区 (飯田市・伊那市・駒ヶ根市・下伊那郡・上伊那郡)総支部 代表 美容師やリクルートでのサラリーマン、国会議員秘書、起業を経て、衆議院議員選挙に挑戦。

公式Twitter : https://twitter.com/kosuke_naczi

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